東海道バーチャルトリップ

49)善光寺大本願伊勢別院浄土宗光徳寺:神社の先、右手、徒歩70分、道路西側

参道右側に圓光大師遺跡石碑、その手前に光徳寺モニュメントが在ります。参道左側に掲示板、その下には善光寺大本願伊勢別院、浄土宗光徳寺、とあります。光徳寺モニュメントの説明文には、浄土宗。古くは泡州崎念仏道場と称した。明治7年(1874)
進善学校(日進小学校の前身)が当寺で開かれた。県指定史跡の沼波弄山墓がある。沼波弄山(1718〜77)は桑名船馬町の商人で、万古焼の創始者である。また、大阪の市岡新田を開発した市岡宗栄(1664〜1714)や、万古焼継承者加賀付華
(1888〜1937)の墓がある、とあります。参道を進むと、左手に彫りの浅い石碑、その先はお堂で、泡州崎念佛道場の額が飾られています。圓光大師とは浄土宗の開祖、法然上人が持つ諡号です。

50)浄土宗仏光山十念寺:寺の先、右手、徒歩71分、道路西側

旧道右手には瓦葺の塀があり、参道右手には掲示板、左手には桑名七福神浄土宗十念寺説明板が在ります。その手前に、十念寺モニュメント。モニュメントの説明文には、浄土宗。古くは朝明郡切畑(現三重郡菰野町)にあったが、室町時代に桑名へ移り、
慶長町割の際に現在地に移る。県指定文化財として祭礼図屏風・当麻曼荼羅図・仏涅槃図、市指定文化財として森陳明之墓がある。森陳明(1826〜69)は明治維新の際に、桑名藩が敗北した責任を取り、藩を代表して切腹した、とあります。
説明板の説明文には、人皇四十代、天智天皇の勅願寺として、朝明郡切畑村に創建され、行基菩薩により興隆す。嘉禄元年(一二二五)。開山誉阿弥陀佛上人、浄土宗第三祖記主良忠上人と師弟の約を結び浄土宗となる。大永元年(一五二一)桑名城
本丸の地にあり、天正十四年(一五八六)築城の為、請により泡州崎八幡宮の東に移り同宮別当を兼ね、慶長の町割に祭祀、現在地に移る。寛永十七年(一六四〇)七堂伽藍が完成、寛文年中、松平定重公御夫人より書院一棟の寄進あり、塔頭三院と共に、
北勢地方中本山と稱せられた。昭和二十年七月、戦災により伽藍焼失、昭和四十三年十一月二十三日、信州善光寺一条智光上人御親修の大法要を修し、寛文以来の伝統行事、七福神まつりを復活し七福堂の建立、二千躰佛の造塔、納骨堂、書院、鐘楼堂、
山門等を檀信徒協力して再建す、とあります。

その先、参道右手には桑名市指定史跡、森陳明之墓一基説明板が建ち、その先には左側に桑名七福神、右側に浄土宗十念寺の札が掛かる瓦門、右側には三葉葵の紋が入った鬼瓦も置かれています。門を潜ると、参道先には石灯籠一対を抱えるお堂です。

51)日蓮宗妙延山壽量寺:寺の先、右手、徒歩73分、道路西側

参道右手に日蓮宗妙延山壽量寺寺碑、左手には寿量寺モニュメントと笠付の髭題目。参道を進むと、石柵の右側に日蓮宗、左側に壽量寺。その先報恩燈一対に、左手鐘楼と「旧大黒殿、鐘楼」説明板、手水、右手には狩野光信の墓1基説明板と同墓。
参道は上り階段に突当り、階段の右手前に近代的な石灯籠。階段を上ると、これも近代的なお堂です。

モニュメントの説明文には、日蓮宗。元は今一色付近にあったが、慶長町割の際に現在地に移る。市指定文化財として狩野光信墓、銅磬、日蓮聖人御本尊がある。狩野光信は江戸城の障壁画を描いて、京都へ帰る途中、慶長13年(1608)6月4日に
桑名で没した。参道入口すぐ南側の小さな五輪塔が狩野光信の墓である。境内には明治2年(1869)銘の仏足石がある。
旧大国殿の説明文には、建築時期:昭和10年頃(1935年頃)、建築面積:16m^2、ヴォールト状の屋根をかける鉄筋コンクリート造で妻入とする。正面向拝では、フルーティングを施した角柱に枠肘木を置いて唐破風屋根を受ける。
近代和風建築として特異な意匠、とあります。説明文からして、まるで違います。(笑)鐘楼の説明文には、建築時期:昭和10年頃(1935年頃)、建築面積:7.5m^2、宝形造鉄筋コンクリート造。柱間上部をアーチで繋ぎ、
洗い出して文様をつける。伝統的な鐘楼の形態を基調とし、簡略化された和風の意匠とアーチとの折衷を試みた、当地域での鉄筋コンクリート技術を知る上で欠くことのできない建築。登録有形文化財、第24−0154−0155号、
この建造物は貴重な国民的財産です、文化庁、とあります。

墓の説明文には、桑名市指定史跡 昭和45年1月26日、材質は御影石、一石でつくられた五輪塔で、幅18.5cm高さ60cm、狩野光信(1565〜1608)は室町時代の狩野宗家の始祖祐勢正信の直系永徳州信の長子で、
永禄8年(1565)生まれ、幼名四郎次郎のち右京進、父から画を学び、豊臣秀吉、徳川家康に仕え画工として障壁画、天井画の名作を残している。慶長11年(1606)に江戸に下向し、慶長13年(1608)6月4日帰路の途中桑名で病死し、
寿量寺に葬られた。戦災後、復興都市計画により道路が墓地を縦断したため、墓所は、現在の位置に移された。文化財を大切にしましょう 平成13年 桑名市教育委員会、とあります。

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