東海道バーチャルトリップ
55)昔をしのぶ間の宿菊川案内板:左折地点の先、左手、徒歩116分、道路南側
こんなのを見ていると楽しくなります。壁面の案内板には旧道と菊川の里の町並、名所旧跡の絵や写真が紹介されています。今回来てみると、壁面の所々は補修されていました。
貼られている名所を列挙すると、菊川坂石畳、法音寺、菊川の辻、柳の井戸、中納言宗行卿詩碑日野俊基歌碑、中納言宗行卿の塚、菊川神社、鍛冶屋敷跡、四郡の辻 四郡橋、小夜の中山夜泣石。
先の古い道標は、やはり菊川の辻道標でした。また四郡橋はこの先の、旧道の左折地点手前に架かっています。
56)間の宿菊川の里会館:案内板の先、右手、徒歩118分、道路北側
右手バス停の手前には、間の宿、菊川高札が有ります。高札の左側側面には中納言宗行卿の塚案内板が貼られており、ここから約750mとあります。中納言宗行卿とは藤原(葉室)宗行の事で、彼は謀反を企てた鎌倉時代の公卿です。
案内板の先右手には宗行卿詩碑、日野俊基歌碑説明板と石碑二柱。この日野俊基も宗行と同じ謀反人です。
その左には菊川の里周辺案内図高札と菊石、菊川由来の石立札。この菊花紋を持つ石は菊川の名の由来です。その左手前に、ようこそ歴史の里菊川へ、間の宿悠久の会木杭。
その先右手には公衆トイレがあり、その壁面には説明板などが掲載されています。ですがその内容は更新されています。
昔は金谷宿の昔ばなし(51)八挺鉦(やからかね)、同(8)「与茂七越し」(よもしちごし)、同(9)柳井戸、同(40)矢の根鍛冶 五條才兵衛のこと、でした。
現在では金谷宿の昔ばなし(51)八挺鉦(やからかね)、同(8)「与茂七越し」、イラスト2枚、同(61)名物「飴の餅」のこと、に成っています。
写真奥の建物は菊川の里さんぽ茶屋ですが、既に営業は終了しました。
57)矢ノ根鍛冶 五條才兵衛之図:会館の先、左手、徒歩120分、道路南側
シャッターに鍛冶屋の絵が描かれています。徳川家康が菊川で入手した鏃が、開運の鏃(〜大阪城攻め)として有名に成りました。
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