東海道バーチャルトリップ
19)旧道の風景:右折すると、徒歩128分
右折すると、旧道は左から右に曲がります。
20)直進地点/布気皇舘太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)参道:右折から少し歩くと、徒歩131分
左手に鎮守の森と高いポールが見えて来ます。此処は同神社の参道入口です。旧道は此処を直進します。また先の能古茶屋は、同神社の向いに在りました。
21)同神社参道:直進地点を右折すると、同分
左右のポールの門を潜ると、参道右手に布氣皇舘太神社御由緒、参道左右に石灯籠一対、胴には細かい文字が彫られていますが、「・・・太神・・・」の字だけは読めます。
石灯籠の先、木製鳥居の右手前に、自然石で出来た式内布氣神社社碑。鳥居の左手前には緑の屋根を持つ読めない高札が在ります。木製鳥居には榊一対と細い注連縄が飾られており、房の数は三です。
鳥居の先は献燈多数で、木漏れ日も優しい。参道には細かい砂利が敷詰められています。先程からガイドの右足甲が痛いのですが、この足にも参道の砂利道は優しい。
自動車用のアスファルト道路よりも昔の土や砂利道の方が、遥かに歩き易いのです。また御由緒の説明文には、
神紋揚葉蝶、鎮座地亀山市布気町一六六三番地、御祭神、二十三柱、祭祀例祭十月十五日、獅子舞、丑、辰、未、戌年の一月一日、から三日、由緒、延喜式巻九「伊勢國鈴鹿郡十九座並小布氣神社」とあり、垂仁天皇十八年の創始にかかる
式内社です。社名の皇舘とは、垂仁天皇の御宇、天照大御神が忍山に御遷幸の折、大比古命が神田・神戸を献じたことに由来し、野尻、落針、太岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七ケ村を神戸郷といいました。九々五集巻第六上には、「高野大神宮
関氏より続テ亀山御城主御氏神三社之内 神戸七郷惣社ノ宮(略)宮地長八十間横百閨vとあり、また同所の巻第九の巻末に記述の「舘殿御由来」には「抑勢州鈴鹿郡神戸庄皇舘多賀ノ宮は豊受皇太神宮の荒魂の御神なり 夫レ神戸と申侍るは
人王重大崇神天皇七かのへ寅歳奉勅命乞て 諸国所々に御舘を改め 其郡の宗廟として荒魂の御神を社の神戸なり」とあります。布氣皇舘太神社は、時代によっていろいろな名で村人に親しまれたが、明治四十一年近郷の小社・小祠を合祀し、現在
の社名となりました、とあります。
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