東海道バーチャルトリップ
46)壁画その5:徒歩180分
次は、東海道五十三次と歌川広重です。壁画の右上には東海道五十三次の駅名が、右下には同説明文が、左には江戸の道/伊勢国の地図が描かれています。説明文には、
慶長六年(一六〇一)徳川家康は「御伝馬之定」を制定し、東海道沿道の集落五十三カ所を宿駅に指定した。以後、東海道は江戸と京を結ぶ最も重要な街道として、上り下りの大名行列や庶民にいたるまで、数多くの旅人が往来した。江戸後半には一般の
人々の旅行も増大し、それにつれて各宿場の名所や行程などをも記した名所絵図や道中記などが次々の刊行された。これらの需要もあって、浮世絵師たちも沿道の風景を画題として描くようになった。その風景画の中で最も著名なものが、初代歌川広重
(一七九七〜一八五八)の「保永堂版東海道五十三次」で、五十三の宿駅に日本橋と京を加えた五十五枚から構成され、四季折々の宿駅風景や人々の姿を描いている。天保四年(一八三三)から順次出版されたこのシリーズは爆発的な人気を得て広重の
名声は一挙に高まり、以後他の絵師たちの描く東海道の風景画は、少なからず保永堂版の影響を受けているほどである。また、広重は行書版、隷書版、堅絵などの東海道物や、木曽街道五十九次、名所江戸百景などの名作を次々と発表して、風景画家
の第一人者となるとともに、花鳥風月や美人画などにも独自の境地を開き、その地位を不動のものとした。なお、この作品は「五十三次亀山浮世絵版画館」所蔵の原画を複製拡大しました、とあります。
地図には、桑名から七里渡、日永から伊勢神戸、白子と続く伊勢街道、亀山から菰野を通る巡見道、関から椋本を通る伊勢別街道、関から別れる大和街道、参宮表街道などが描かれています。
47)壁画その6:
次は、桑名(七里渡口)です。
48)壁画その7:
次は、四日市(三重川)です。
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