東海道バーチャルトリップ
(44.5)石薬師宿−庄野宿
1)石灯籠、史蹟石薬師の一里塚趾石碑、石薬師の一里塚説明板:橋の袂左奥、徒歩111分、道路東側
橋を渡ると、橋の袂左奥に手前から、家内安全と彫られた石灯籠、同石碑、同説明板が在ります。説明板の説明文には、信長記には、天文九年(一五四〇)冬、足利将軍が諸国に命じて四十町を一里として一里塚を築かせ、その上に松と榎を
植えさせたという。[一町は約一〇メートル]、家忠日記には、慶長九年二月(一六四〇)秀忠が東海道東山道、北陸道の三道に一里塚を築かせ、一里を三十六町に改めたという。くたびれたやつが見つける一里塚、(江戸時代の川柳)、
平成四年十月、石薬師魅力再発見委員会、【鈴鹿市市制五十周年記念事業】、とあります。
一里の長さを変えた理由とは、一体何なのでしょうか?
2)東海道石薬師宿道標、歴史と文化のまち石薬師案内板、←庄野宿、石薬師宿↓道標、信綱歌碑50、これより北石薬師宿信綱かるた道説明板:交差点左奥、同分、道路東側
十字路交差点の左奥に、右側から石薬師宿道標、同案内板、その下に←庄野宿、石薬師宿↓道標、その左に同歌碑、その左に同説明板が在ります。かるた道説明板は更新されています。
案内板の内容は、宿の入口に在った先のそれと同様です。歌碑には山野と甲斐川が描かれています。「生家(さど)にゆくと弱かりし母が我(あ)をせおひ 徒渉(かちわたり)せしか此の甲斐川を」、とあります。
この様に、各歌碑の色はかなり異なっていました。風化によって色褪せているのでしょう。
かるた道説明板の説明文には、一・八キロの間には信綱かるたの短歌五十首を掲示している。途中、石薬師寺(信綱、西行、芭蕉等の歌碑句碑など)、蒲冠者範頼社・蒲桜、淨福寺(弘綱記念碑、幸綱歌碑)、佐佐木信綱記念館、本陣址、地蔵堂
などがある。(佐佐木信綱顕彰会)、とあります。
3)JR関西本線アンダーパス/檜山橋りょう(梁):一里塚からすぐ、徒歩112分
一里塚からは蒲川に沿って坂を下り、JR関西本線をガードで潜ります。此処から先は、関西本線と区画整理によって旧道は消失しています。関西本線は鈴鹿川の北岸を東西に結んでいます。
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