東海道バーチャルトリップ

61)信綱歌碑25と信綱かるた道タイル、その他/淨福寺:看板の先、左手、徒歩55分、道路東側

旧道左手、四日市宿側、手前から順に、信綱かるた道タイル(写真中央下)、信綱歌碑25(同中央)、一等水準点、小さな白い竹柏説明板、佐々木弘綱記念碑(同中央上)が在ります。前回来た時は工事中であり、今回は綺麗に整備されていました。
歌碑にはチューリップが三輪描かれており「いきいきと目をかがやかし幸綱が 高らかに歌ふチューリップのうた」、とあります。一等水準点は歌碑の根本の裏に在り、上下左右四つの石で護られています。
同説明板は草に埋もれていましたが、説明文には、信綱の父、弘綱は、「竹柏園」と号した。信綱は明治32年〇歌結社「竹柏会」を創設。本会は・・・とあります。

62)真宗高田派大日山淨福寺:歌碑25の先、左手、徒歩56分、道路東側

参道右手には掲示板と、その右に浄福寺説明板(写真右外)が在ります。参道を進むと山門で、山門右側には真宗高田派淨福寺の札が掲げられています。
山門を潜ると左手に鐘楼と本堂、右手にトイレ。旅行客にも親切なお寺です。今回も、境内は工事中でした。説明板の説明文には、
宗派は真宗高田派、本尊は阿弥陀如来である。開基(創建)は室町時代の永正年中(一五〇四〜一五二〇)と伝えられている。山門入り口の左側には佐々木弘綱翁(信綱の父)の記念碑がある。それは佐々木家累代の菩提寺だからである。
碑に刻まれている歌は次のとおりである。わかの浦に 老を屋(や)しなふ 阿し堂徒盤(たずは) 雲の宇辺越(うえを)も よそに見類(みる)か薙(な)、平成十八年十二月、石薬師地区明るいまちづくり推進協議会、とあります。

この歌は古今和歌集巻第十四の賀歌に収録されている、紀貫之の歌です。「和歌の浦に老を養う葦田鶴は、雲の上をもよそに見るかな」。
和歌の浦とは和歌山県北部の景勝地だそうですが、此処では文字通り和歌界、和歌道の事でしょう。(〜掛けている)老をやしなう(養う)とは、老後を生きるです。
葦田鶴は葦の生える水辺にいる鶴の事で、転じて鶴の別名だそうです。よそに見るとは、よそ見をしないの余所(外、他所)です。「老いたので、雲の上が遠く(よそ)に見える」、でしょう。(笑)

63)幸綱歌碑、佐佐木幸綱説明板、佐々木弘綱翁記念碑、佐々木弘綱(一八二八〜一八九一)説明板/淨福寺:左手、参道左手、徒歩56分、道路東側

参道左手、旧道側から順に、幸綱歌碑、佐佐木幸綱説明板、佐々木弘綱翁記念碑、佐々木弘綱(一八二八〜一八九一)説明板が在ります。
同歌碑には、「しゃくなげを 愛し短歌を すずか嶺を愛し 石薬師を愛したる人 幸綱」、とあります。幸綱説明板は草に埋もれており、その説明文には、歌人・国文学者。紫綬褒章受章、日本芸術院会員、早稲田大学名誉教授。
一九三八年佐佐木治綱(学者歌人)と由幾(歌人)の長男として東京に生まれる。佐佐木信綱は祖父である。現代短歌界の重鎮であり、万葉集等の研究でも著名である。佐佐木信綱の顕彰歌会には選者として招聘されている。歌碑、
しゃくなげを愛し短歌をすずか嶺を愛し石薬師を愛したる人 幸綱、とあります。ですからこの歌は祖父信綱を詠っているのでしょう。

同記念碑には、正二位伯爵東久世通禧書とあり補修されたのか?前回よりも文字が読み易く成っていました。
東久世通禧は例の七卿落ちの一人で、1898年(明治31年)正二位、1912年(明治45年、没年)従一位ですから、碑は明治31年〜明治45年の間に建てられたのでしょう。
弘綱説明板の説明文には、信綱の父。歌人・国学者。伊勢山田の国学者足代弘訓に師事した。五十三歳の時上京し、東京大学の講師となる。門人は全国にわたり千六百名ともいわれる。古典の口語訳書、撰集、自作歌集、和歌に関する
研究所など著作は、百余に及ぶ。この碑は、一九〇八年(明治四一)建立された。以後、毎年碑前祭がこの境内で行われていた。碑表には弘綱の矜持詠がある。和歌の浦に老をやしなふ葦田鶴は、雲の上をもよそに見るかな、とあります。

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