東海道バーチャルトリップ

55)佐佐木信綱記念館説明板と投稿ボックス/資料館:資料館入口右側、徒歩45分

説明板の説明文には、佐佐木信綱記念館は、「佐佐木信綱資料館」、「生家」、「土蔵」、「石薬師文庫」から成り立っています。佐佐木信綱は明治五年六月三日、この地に生まれ、六歳まで石薬師で過ごしました。
その後一家は松阪へ移り、信綱が十一歳の時に東京へ移ります。この時、「生家」は他家の所有となり、鈴鹿市和泉町に移築されました。昭和七年には信綱は還暦を記念して「石薬師文庫」を贈り、地域の図書館として
現在でも多くの人に親しまれています。そして、信綱は七十三歳から熱海へ移り、昭和三十八年十二月二日、九十二歳でこの世を去りました。信綱の没後、昭和四十五年十二月十二日、「生家」を再び現在の場所に移築し、
佐佐木信綱記念館が誕生しました。その後、昭和六十一年五月二十八日には、展示施設等を備えた「佐佐木信綱資料館」が開館し、今日に至っています。平成十七年九月、鈴鹿市、とあります。

56)うのはな説明板/資料館:入口左手、同分

説明板の説明文には、空木(うつぎ)・卯木(ユキノシタ科)、うのはな、「夏は来ぬ伊勢や難波と遊ぶ間に 山ほととぎすつぼむ卯の花」信綱、とあります。この歌は信綱歌碑1〜50には含まれていません。

57)佐佐木信綱と卯の花の里案内板高札/資料館:説明板の先、同分

案内板の左側には旧道を中心とした周辺図が、下側には日本橋から三條大橋迄の東海道が描かれています。周辺図には、北町地蔵堂、小澤本陣跡、天野記念館、石薬師文庫、佐佐木信綱記念館、現在地、佐佐木弘綱翁記念碑、高富山石薬師寺、
国道1号が記されています。説明文には、

石薬師宿は江戸から数えて四十四番目の宿場である。天領であったこの地に宿駅が設置されたのは、元和二年(一六一六)と遅く、それまでは高富村と呼ばれていた。弘化二年(一八四五)の石薬師宿軒別図から職業構成をみると、人家約一八〇軒
のうち旅籠屋が約三十軒、百姓は約一三〇軒で全戸数の約七割をしめており、農村的性格の強い宿場であった。街道の中ほどの西側には小沢本陣がありその向いには園田家がつとめていた問屋場があった。当資料館の隣に建つ連格子造りの
木造家屋は佐佐木信綱(一八七二〜一九六三)の生家で、一家が松阪へ移住する明治一〇年(一八七七)までの幼年期をこの家で過ごした。裏庭には「産湯の井戸」が今も残っている。石薬師では、信綱作詞の唱歌「夏は来ぬ」に因んで昭和六十三年
(一九八八)から地区を挙げて「卯の花の里づくり」に取り組んでいる。初夏になると、どこの家庭の庭先にもまた道端にも白い可憐な花が咲き清楚な趣をそえている、とあります。

同唱歌の歌詞とは「卯の花の匂う垣根に・・・」で、皆様も一度はお聞きに成られた事でしょう。

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