Civではこの「暦」テクノロジーは、太古時代に解放されます。これを取得する事によって、換金作物などが耕作可能と成ります。これは暦=行動計画書(〜現在のビジネス手帳)でしょうから、1)時間に関するテクノロジーです。
ちなみに先の「べらぼう」番組では、耕書堂の名が登場しています。某有名マンガの主人公島耕作の名は、此処から取られたのでしょうか?(笑)

さて、この暦をWikiで調べると、「暦」、「歴法」、「太陰暦」、「太陽暦」ページなどがヒットします。まずは「暦」ページから。

1)暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。
2)さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。
今日では流石に月齢、天体の出没、潮汐などは使用しません。しかし大安、友引、仏滅(六曜、〜中国から)などは行事に使用したりします。また季節の変わり目、春分、秋分(二十四節気、〜同)なども使用しています。

3)細分すると、
  ・日を記録するものを暦(こよみ、calendar)
  ・暦による日付の並びを表形式等で表示した暦表・カレンダー(calendar)
  ・暦の方法論である暦法(新暦、旧暦)(calendar)
  ・天象の予報・天体の軌道を記述するものを天体暦(れき、ephemeris)
  ・一年間の日ごとに天象に加えて行事や占いや曜日などを総合して記述したものを生活暦(almanac)
  ・航海用に一年間の天象・天体の視位置を記述した航海暦(nautical almanac)
  ・紀年法、すなわち西暦・和暦など(calendar era)
  となる。

4)単位:
5)暦は、地球の自転を元にした日、月の公転を元にした月、地球の公転を元にした年など、いくつかの単位に細分化されている。
6)このうち古代の人々がまず最初に気づいたのは太陽の出没、すなわち1日であった。また、季節の推移と、それが一定の周期で一巡することにも気付き、年の概念が現れる。
7)さらに周期的な月の満ち欠けに気付き、これがおよそ12回繰り返すと季節の一巡することに気づいた。
月の満ち欠け(朔望月)は29.5日だそうです。365/29.5=12.37・・・です。
8)こうして日・月・年の単位が成立した。
9)暦月が月の満ち欠けと一致するのは太陰暦だけで、太陽暦と月の動きは全く関連付けられていないが、それでも多くの言語で暦月と月の名称に関連があり、また太陽暦でも通常1ヶ月が30日前後となっているのは太陰暦の名残であると考えられている。

10)天体の運行に基づいた年月日とは異なり、週は自然現象に起源を持たない。月と日の間の計測単位は各文明によってさまざまで、例えば古代中国では月を3分し10日を1単位とした旬という単位を用いており、これは現代日本でも使用される。
11)また、古代ローマでは7日制以前には8日を1周期とする週が使用されていたほか、4日や5日、6日、15日など、多くの周期が用いられていた。
朔望月は29.5日ですが、生理の周期は25〜38日と、幅が有る様です。席亭などは、28日=7*4と考えていました。(笑)
12)週と曜日の起源は古代メソポタミア文明にさかのぼる。メソポタミア文明では7が聖数であったため、当時判明していた地球以外の7つの天体(月・火星・水星・木星・金星・土星・太陽)にそれぞれ1日を割り当て、
   7日で1周期となるようにした。

13)ただし、7日周期に関しては古代エジプトが発祥であるとする文献もある。いずれにせよ古代オリエントにおいて1週間7日制が成立し、これが周辺文明に伝えられ、ヨーロッパではローマ帝国期に一般的に使用されるようになった。
14)このため各曜日の名称は本来天体名に由来するが、周辺文明においてはあとから取り入れられた概念であるため天体と曜日の結びつきが薄く、例えばヨーロッパ諸言語においては太陽(日曜日)と月(月曜日)は天体由来名が残ったものの、
   惑星由来の5曜日については独自の名称が取り入れられ、天体との関係が消滅した。
15)週は中国を経由して日本にも伝わり、10世紀末からは七曜として暦に記載されるようになったが、これは主に吉凶を判ずるためだった。
16)その後、明治に入りグレゴリオ暦を採用すると、週は生活の上で重要な位置を占めるようになった。

17)暦法:→詳細は「暦法」を参照
18)古代の人々は生活の中で季節の存在やそれにともなう自然現象の推移に徐々に気づいていき、その体験を元にある程度の「月」を定めて農業や狩猟などの目安とするようになった。これが暦の起こりであると考えられている。
19)その性質上、原始的な暦は1ヶ月の長さが不定であり、また後世の暦のように1年が正確に繰り返されるような性質のものでもなかった。
20)こうした原始的な暦は自然暦と総称されている。
21)こうした自然暦には、かつてイヌイットが周辺の環境変化に基づいて作成した暦や、オーストラリア・アボリジニのヨロンゴ人が風向に基づいて使用していた暦など、さまざまな種類が存在する。

22)次いで、月の満ち欠けの周期が暦として使用されるようになった。太陰暦である。
23)太陰暦では「何日」と月のみかけの形が一致するためわかりやすく、また月齢と潮の干満が対応しているため漁業には適しているものの、完全な太陰暦においては一年が約354日であり、太陽暦に比べ11日短くなるため、
   3年間で33日、つまり1か月ほどずれてしまい、実際の季節と大きく食い違ってしまう。
24)このため太陰暦が使用されはじめたころは、1年の終わりと翌年の始まりの間に何日かの空白があったと考えられている。
25)また季節がずれていく性質上、農業での使用には適していないため、完全太陰暦の使用例は歴史上極めて少ない。
26)21世紀において完全太陰暦を使用しているのはイスラム教圏で採用されているヒジュラ暦のみである。ヒジュラ暦は閏月を排除し、完全に月の満ち欠けのみによった完全太陰暦であるが、このためイスラム暦は太陽暦に比べ
   毎年11日程度短く、33年でほぼ1年のずれを生じる。

27)やがて、月の運行と季節のずれを調整する方法として太陽暦を補助的に使用し、閏月を挿入することで実際の季節と暦とのずれを修正する方法がとられるようになった。これが太陰太陽暦である。
28)閏月の挿入は、導入当初は社会の指導者たちが状況に応じ適宜挿入を決定したと考えられているが、やがて天文学の発達によって正確な置閏法が定められ、決められた時期に閏月が挿入されるようになった。
29)置閏法としては、19年に7度の閏月を挿入するメトン周期がギリシアで使用されており、また中国でもこの方法で閏月が挿入されていた。
30)太陰太陽暦は多くの世界で採用され、バビロニア暦、ユダヤ暦、ローマ暦、ヴィクラム暦、中国暦など多くの暦法が存在する。

31)これに対し、太陽が黄道上のある点を出てその場所に戻ってくるまでの周期、いわゆる太陽年を暦として使用するのが太陽暦である。
32)太陽暦は太陰暦に比べずれが非常に小さいものの、正確な太陽年は365.2422日であるため、適切な間隔で閏日をおかない限り、やがて季節とのずれが生じる。
33)太陽暦が最初に制定されたのは古代エジプトで、ナイル川の氾濫の時期とシリウスの動きの周期が近似していることから考案されたとされる。
席亭はシリウス暦の名前だけは知っていましたが、その詳細は知りませんでした。
34)これはシリウス暦と呼ばれ1年が365日となっていたが、閏日が制定されていなかったため長い年月のうちに季節と暦のずれが生じるようになった。
35)このためプトレマイオス朝期に4年に1度の閏年が設けられるようになり、これがユリウス・カエサルによって共和政ローマに持ち込まれ、ユリウス暦として長く使用された。
36)またイランにおいてはイスラム教伝来後も、ヒジュラ暦が季節を示す役割を持たなかったため、農業上や行事上の要請から旧来の太陽暦が存続・発展し、イラン暦として現代でも使用されている。
37)このほかにも、エチオピア暦、シャカ暦やコッラム暦といったインドのいくつかの暦は太陽暦となっている。

38)ユリウス暦はかなり正確なものであり、暦と太陽年のずれは128年に1日に過ぎなかったものの、ユリウス暦施行から1000年以上経つとそのずれは無視できないほどにまで広がっていた。
   そこで1582年にローマ教皇グレゴリウス13世によって改暦が行われ、より正確なグレゴリオ暦が導入された。グレゴリオ暦はカトリック圏ではほぼ即座に採用され、プロテスタント圏では18世紀、
   ギリシア正教圏では20世紀に入ってから導入された。
39)また1873年の日本を皮切りに非西欧諸国でも相次いでグレゴリオ暦が採用されるようになり、21世紀にはほとんどの国でグレゴリオ暦が使用されている。
以下は省略します。次は「暦法」ページです。

1)暦法(れきほう)とは、毎年の暦を作成するための方法を指す。
2)暦は、天体の運行に基づいて確立される。主として太陽と月が用いられ、月の運行に基づいた暦を太陰暦、月と太陽の運行に基づいた暦を太陰太陽暦、太陽の運行に基づいた暦を太陽暦という。
3)概要:以下に暦法の概要として表を示す。
ここでは太陰暦と太陰太陽暦、太陽暦が示されています。表は省略します。

4)太陰暦の暦法
先に示した様に歴史的に見れば、太陰暦→太陽暦の順です。
5)古代オリエントの暦法:
6)古代オリエント(古代エジプトは除く)では、太陰暦を採用しており、シュメール人のウルク王朝の都市国家(前3500〜前3100年頃)もアッカド王国のウル王朝(前2500〜前2100年頃)も
  古代バビロニア王国のバビロン第1王朝(前2000〜前1500年頃)の時代も、目測で観測できる月の満ち欠けに基づいて暦を決めていた。
  通常は、新月(三日月)から始めて次の新月までを1ヶ月としていた。その以前からも太陰歴は使用されたという説もある。
7)また、暦に関連して、シュメールのウルク王朝時代から、既に60進法が用いられており、これが12時間、60分、60秒の単位として、現在に至るまで受け継がれている。
8)また、「19太陽年≒235朔望月」とする法則は、西欧では「前432年にギリシアの天文学者メトンによって発見された」と信じられていたので、「メトン周期」と呼ばれるが、実際の発見は、
  おそらく前8世紀半ばのバビロニアで、メトンはこれを西方に導入したものと考えられる。

9)ヒジュラ暦の暦法:
10)ヒジュラ暦採用前のアラビア半島では、ユダヤ暦に学んだ太陰太陽暦を用いており、メトン周期として知られる19年7閏法(19太陽年(228ヶ月)の間に、7回、閏月を置閏し、19太陽年とほぼ等しい長さの235朔望月にする方法)に基づき、
   第13番目の閏月が3年に一度ほど挿入されていた。その太陽暦の部分を切り落としたものがヒジュラ暦である。
11)太陰暦(純太陰暦)を用いているヒジュラ暦(イスラム暦)においては、1年を平年354日、閏年はこれに1日足した355日の暦法を用いている。平年は30暦日の月と29暦日の月を交互に12か月設置することになっている。
   太陰年は正確には1年=354.36705日であり、端数に30を掛けるとほぼ11日(11.011日)となるため、30年に11回の割合で閏日を置く。
   イスラムの暦法では30年周期のどの年に閏日を割り振るかが重要な課題となる。閏日が置かれる場合は、平年では29日であるズー・アル=ヒッジャ月(第12月)が30日となる。
12)なお、ヒジュラ暦の1年は太陽暦の1年よりも11日程短いために、ヒジュラ暦以外の世界から見ると毎年年始の暦日が早まっているように見える。特にラマダーン月(第9月)は日中の断食を伴うために、
   その日付を知らずに非イスラム教徒がイスラム世界を訪問したときに食事をめぐってトラブルとなる場合がある。
13)純太陰暦(1年=約354日)では、端数部分を除いて、閏による補正を行わないために、毎年11日早まるので、33年で季節が一巡する。このことから、「33」は陰秘学(オカルト)において非常に重視される数字となっている。

14)太陰太陽暦の暦法
15)東洋の暦法:→「中国暦」も参照。
16)原則的には太陰暦と同じ朔望月29.53日、太陰年354.36705日を用いていたが、農耕に適するように何年かに1回閏月を加えることで調整を行った。
17)中国において行われたのは、季節を知らせる二十四節気を挿入する方法であった。これは冬至から次の冬至までの太陽年を24等分して1か月に2つの節気が含まれることとした。
18)そのうちその月の節気の前者を「節」、後者を「中」あるいは「中気」と呼び、「中気」は暦月に必ず一つ入ることが原則とされていた。
19)「中気」には冬至・大寒・雨水・春分・穀雨・小満・夏至・大暑・処暑・秋分・霜降・小雪があり、その間隔は30.346日である。
20)ところが、実際の暦月は太陰暦と同様に30日と29日の交互であったために、時々「中気」が暦月に入らない月が出現する。その月を前の月の閏月と規定して正規の月から外して、その次の「中気」を含む月を翌月としたのである。
21)その調整のために高度な計算が必要となり、しばしば改暦が行われることとなった。一方、「節」は暦注を定める際の参考とされ、節から節までの間を「節月」として区切った(「節切り」)。
22)なお、24節気の名称は中国文明の中心とされた華北の季節状況に合わせて設定されており、日本や朝鮮半島、それに中国でも華南の季節状況は何ら勘案されていないことに注意を必要とする。
23)さらに、二十四節気の下には七十二候というものもあった。
他国の季節を表すカレンダーを頂いても、困惑しますよね?(苦笑)
24)また、中国においては「三正」という考え方があり、夏は雨水を、商は大寒を、周は冬至を含む月を年始として採用した。
25)これは、他者の暦を用いることは従属の証と考えられたために、前王朝を倒すとその否定のために前王朝と違う「中気」をもつ月を年始と定めたことによる。
26)このため、政権交代のたびに年始が三正の間で移動したが、漢以後は、夏の制度を用いてただ王朝交代のたびに改暦を行うに留めるようになった。

27)なお、黄道上における太陽のみかけの動きは冬には早く夏には遅く見える。そのため、太陽が黄道上を15度進んだ期間に応じて節気を進める「定気」という手法も中国の時憲暦から採用された。
28)日本では最後の太陰太陽暦となる天保暦でのみ採用された。

29)西洋の暦法: 30)新バビロニア(バビロニア歴)・ユダヤ(ユダヤ歴)・古代ギリシアなどの太陰太陽暦は、基本的には東洋のそれと同じであるが、長期的にずれが少なければ良しとして、細かい天象との差異は気にされなかったとされている。
   これらの国々では黄道十二宮を利用して調整を行った。

31)太陽暦の暦法
32)古代太陽暦の暦法:
33)古代エジプトの暦では、古くは、1か月を30日(1週間は10日。1か月は3週間)、1年を12か月(1年を12か月に分ける方法は、月の満ち欠けの周期(1か月)を12.37回繰り返すと1年経つことに由来する)、
   1年を360日、とする変則的な太陰暦であることから、古代エジプトでも記録に残る以前の時代には、他の地域(文明)と同じく、太陰暦を使っていたと考えられている。
34)古代エジプトでは紀元前5600年頃に農業が始まり、紀元前3500年頃には灌漑が始まったと考えられている。古代エジプトの農業は、主にナイル川に依存していたため、その氾濫の時期を正確に知る必要があった。
35)紀元前4000年頃には、エジプト人は、恒星シリウスの観測から、また、ナイル川の毎年の増水開始の時期に注目して次の年の増水開始までの日数を数え上げ、1年が約365日であることを、既に知っていたと考えられており、
   これがエジプトにおける太陽暦の始まりとされる。
36)しかし厳密には太陽ではなくシリウス(ソティス)や洪水の周期に基づくものなので、これを「ソティス暦」(シリウス・ナイル暦)という。ソティス暦は紀元前4241年、または、紀元前2781年に始まったとする説がある。
37)紀元前3000〜2000年頃になると、伝統的な「30日×12か月=360日」に、1年のどの月(暦日)とも関係のない「5日」(360日の70分の1の端数切り捨て)を加えた「365日」からなる、国定の民間暦(民衆暦、シビル暦)
   が創出された。
38)これは神話ではラーとトート(ヘジュウル)神から与えられたものとして、神聖視され、代々の国王は即位時にこれを遵守することを神々に誓った。
39)古代エジプトの民間暦では、1年を「アケト」(洪水期、現在の7〜10月)「ペレト」(播種期、同11〜2月)「シェムウ」(乾季・収穫期、同3〜6月)の3季に分け、1季は4か月であった。
40)1年の始まりである「アケト」の第1月は「ヘジュウル月」と称され、新年(古代エジプトの新年は、現在の真夏の7〜8月頃にあたる)の祝いとして、時の主人であるトート神の祭儀が行われた。
41)だが、単純な1年=365日暦であったために、次第に季節と日付のズレが生じてきた。そこで神官は、1年を365.25日とし、4年に1度の閏年に1日の閏日を加えた神官用の官暦を用いて年中行事を行っていた。
42)しかし、民間暦の改訂については神への冒涜であるとして否定的な考えをとり続けた。

43)紀元前238年に、プトレマイオス3世のカノプス勅令によって官暦への統合(民間暦への閏日の導入)が試みられた。しかしこれは成功しなかった。閏日の導入に成功するのはローマによる支配後のアウグストゥスの頃である。
44)また、エジプト歴では、日の出から日没までを10の「時間」に分け、これに夕暮れの2つの「時間」が追加された。夜も12の「時間」に分かれていて、昼と夜を合わせて24時間(不定時法)とされた。
45)これが後の紀元前2世紀に、ギリシアの天文学者であったヒッパルコスが「1日の昼と夜を平等に24分割する」ことを唱え、1日24時間(定時法)となり、さらにオリエントの60進法が組み合わされて、現在に至るまで受け継がれている。
46)ペルシアでは、エジプトの民間暦に年始を90日遅らせたものを用いていた。セルジューク朝時代にウマル・ハイヤームらによって、ユリウス暦の要素をとり入れたジャラリー暦を導入した。
47)現在のヒジュラ太陽暦はその後継であり、春分を年首、1−6月を31日、7−11月を30日、12月を平年29日・閏年30日としている。これは黄道十二宮とのズレをなくすための配列である。

48)ユリウス暦の暦法:
49)ユリウス・カエサルがエジプトを征服した紀元前46年に、アレキサンドリアの暦学者ソシゲネスに命じてエジプト暦を改良した暦を古代ローマに導入した。これをユリウス暦(=太陽暦)という。
50)当時使われていたローマ暦(=太陰暦)は実際の季節と3か月もずれてしまっていたため、これを調整するために閏月を3か月分挿入した。なお、この際に春分を3月25日と定め、クインティリスを自分にちなんだユリウスと改称させた。
51)カエサル暗殺後、本来なら閏年を4年に1度とすべきところを誤って3年に1度入れてしまったため、3日間のずれが生じてしまった。
52)そこで、後継者となったアウグストゥスがこれを調整したが、その際にセクスティリスを自らにちなんでアウグストゥスと改称させた。
53)326年に行われたキリスト教のニカイア公会議は、春分を3月21日、復活祭を春分後の満月の後の最初の日曜日とすること、その復活祭の日付を基にその他の移動祝祭日の日程を定めることを決定した。
54)ユリウス暦では28年を周期とする日曜文字(Dominical Letter)と春分翌日である3月22日の月齢(エパクト)に基づいて算出された。
55)ユリウス暦にも実際の太陽年とのずれが存在したものの、教会当局は暦上の春分を重んじた。そのために実際の太陽年とのずれは次第に大きくなり、16世紀には実際の春分が3月11日に到来するなどの問題が生じてきた。

56)グレゴリオ暦の暦法:
57)1582年にローマ教皇グレゴリオ13世の命を受けたクラヴィウスらによって作られたグレゴリオ暦は、週も含めて400年周期の暦で、ユリウス暦の置閏法に加えて、
   「ただし、西暦年数が100で割り切れる場合、その商が更に4で割り切れない年は平年とする」とするルールを付け加えることによって、400年に97回の閏年を設けることとしたものである。
   これによって平年は52週と1日となり、1月1日と同じ年の12月31日は同じ曜日となる。さらに翌年には曜日が1日ずつずれていくという原則が成立した。
58)もっとも、閏年の場合には52週と2日となり、曜日も閏年が置かれた3月1日から翌年の2月28日までは2日分ずれていくこととなる。
59)ユリウス暦やグレゴリオ暦は月の動きを完全に暦法から排除したことによって1月1日が日曜日から土曜日になる7つのパターン及びそれぞれに閏年の設定を持つものと持たないものの2つのパターン、
   合わせて14種類のパターンを作るのみで、違う年のかつて用いられた暦の再利用が可能となった(月の動きが複雑に絡む太陰太陽暦には困難である)。
   特にグレゴリオ暦の1年=365.2425日(正確には31556952秒)によって生じる実際の1年(平均太陽年=31556925.179秒)との差は26.821秒(2013年の場合)であり、
   1日分の誤差が生じるまでには約3220年を要するなど、単純さと正確さを兼ね備えた暦である。

要約すれば、地球は太陽の周りを定められた楕円軌道(〜太陽との距離が変わる)を描いて周回しており、1年で1周する。各季節は、この楕円軌道上の位置によって決まる。(同位置は、星座(〜銀河内の方向)を見れば分かります)
この軌道と地軸の傾きは各年で殆ど変わらない為、同じ位置=同じ季節(〜日照時間)となる。この地球の公転と月の周回はシンクロしていないので、1年(1周)と太陰月との関係は綺麗な関係ではない(〜端数が出る)、です。

暦に関してはこれで充分とは思いますが、念の為「太陰暦」、「太陽暦」ページも参照します。
1)太陰暦は、月の満ち欠けの周期を基にした暦(暦法)である。その周期を朔望月(さくぼうげつ)といい、1朔望月を1月とする。なお、「太陰」は「月(天体)」の意味である。
2)陰暦(いんれき)とも言われる。「太陽暦」(陽暦)の対義語である。
3)閏月(うるるづき)などを入れて季節のずれを調整する太陰太陽暦と、季節のずれを調節しない純粋太陰暦がある。
4)単に「太陰暦」と言った場合、日本や中国などの東アジアでは通常は太陰太陽暦を指し、イスラム圏などでは純粋太陰暦を指す。
5)本稿では、特に断らない限り純粋太陰暦について述べるが、純粋太陰暦を採用している暦はほぼヒジュラ暦(イスラム暦やヒジュラ太陰暦とも)に限定されることに留意されたい。

6)太陰太陽暦との関係:
7)月は地球に対して公転し、その周期はほぼ一定である。その周期平均は平均朔望月といい、2015年時点では、29.530589日である。太陰暦では、1朔望月を1月(ひとつき)とし、さらに12月を1年(1太陰年)とする。
  1太陰年は、29.530589日×12=354.36707日である。1月(ひとつき)が29日の月(小の月)と、30日の月(大の月)をそれぞれ6回ずつ設け、1太陰年を354日とすると、
  1年につき0.36707日の誤差が出るので、3年に1回程度、小の月の日数を1日増やして1太陰年を355日とする必要がある。
  太陰暦では、この1太陰年が355日となる年が閏年であり、ヒジュラ暦では30年間に11回、閏年を設けている(0.36707日×30=11.0121日)。
8)一方、1太陰年は1太陽年(365.242189日)に比べて約11日短く、季節に対して3年で1月以上の誤差が出る。
9)純粋太陰暦では、この誤差に対する調整は行われず、同じ日付でも年ごとに季節は次第に変わっていき、おおよそ33年で元の季節に戻ることになる。
10)後述するように太陰太陽暦では閏月を設けてこれを調整し、閏月を設けた年が閏年と呼ばれる。
11)歴史的に使われてきた純粋太陰暦は、ほぼヒジュラ暦に限定される。そのヒジュラ暦もイスラム以前の太陰太陽暦から派生したものであり、一部の月名が季節に由来していること
   (ラビー・ウル・アッワル月=第1の春の月、など)にその名残りを留めている。

12)太陰暦と季節:
13)1太陰年(太陰暦の1年)は、354.36707日であり、これは、地球の公転周期(回帰年)である365.24219日より約11日短い。一方、季節の周期は、地球の公転周期と関連する。
   したがって、太陰暦では、特定の月日の季節は、年により変動し、約8年で四季1つぶん(約88日)早くなり、約33年で季節を一周する。
14)一例を挙げれば、北半球を基準とすると、ヒジュラ暦1428年のラマダーン(9月)は西暦2008年9月ごろで初秋だが、ヒジュラ暦1410年のそれは西暦1990年4月ごろで中春であった。
15)このように、十数年以上の時間スケールで見た場合、月日と季節はまったく無関係である。しかし短い時間スケールなら、たとえば去年と今年のラマダーンの季節はほぼ等しい。
   これは、太陽暦において長い時間スケールでは日と月相は無関係だが、先月と今月の同じ日の月相ならほぼ等しいことと対応している。
   逆に、太陰暦では同じ日なら月相はほぼ同じである。太陽暦では、同じ月日なら季節はほぼ同じである。
16)太陰暦の特定の月日の季節が年ごとにずれる欠点を補うため、閏月を設け季節のずれを調節したものが、太陰太陽暦である(一方、閏月を設けない太陰暦のことを純太陰暦・純粋太陰暦とよぶ場合もある)。
17)太陰太陽暦は、月相の一致と季節の一致を両立させている(ただし季節が一致する精度は高くない)。東アジアで単に太陰暦・陰暦といった場合、かつての太陰太陽暦である中国暦や和暦などを意味することが多い。
   これらが廃止された中国や日本では、旧暦とほぼ同義である。
18)太陰暦は朔望月で1か月を定めているが、12か月で1年としているのは1回帰年(1太陽年)も起源に影響している。逆に、太陽暦は太陽年で1年を定めているが、それを約30日ずつの暦月で12か月に分けているのは朔望月も起源に影響している。

19)太陰暦に基づく暦法:
   ・ヒジュラ暦(イスラム暦、ヒジュラ太陰暦) - イスラム世界における暦。かつては公式の暦として用いられてきたが、現在は宗教行事以外では太陽暦を使うことが多い。
20)太陰暦の利用:
   ・沿岸漁業では潮の満ち引きにより作業時間が大きく左右される。現在は潮汐表が書き込まれた太陽暦のカレンダーも存在するが、太陰暦を使った干潮・満潮時刻の算出や大潮(毎月1日と16日ごろ)、
    小潮(毎月8日ごろと23日ごろ)の判断は漁師として基本的な素養の1つである。

次は「太陽暦」ページです。
1)太陽暦とは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦(暦法)である。1年の日数を1太陽年に近似させている。
2)ユリウス暦や、現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の1種である。
3)似ている言葉として、太陰暦があるがこれとは違う。
4)簡単に説明すると、太陽を基準にして1年を365日とし、12か月に分けることである。

5)概要:
6)太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にしている。
7)太陽年の周期は、約365。24218944日(2015年年央値)であり、1年を単純に365日とすると4年でほぼ1日(より正確には、約0.968758日)のずれが生じる。
8)このずれを補正するために閏日が設けられる。
9)エジプトでは、太陽暦は歴史が始まってから使われて来た。
これには前述した様に、諸説が有りそうです。
10)ローマ共和国(ローマ帝国の前身)では、紀元前46年に従来の太陰太陽暦であるローマ暦に代えて導入された。そのとき導入したカエサルの名をとってユリウス暦と呼ばれる。
11)その後、1582年に、ユリウス暦の補正の仕方(置閏法)を改良したグレゴリオ暦がローマ教皇グレゴリウス13世により制定され、その後世界中に普及した。

以下は省略します。天体の観察に戻ります。

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