天文学

「天文学」は、Civではルネッサンス期のテクノロジーです。この学問の取得で、キャラベル船が造船可能に成ります。しかし別のゲームでは、キャラック船の方が有名だったりします。(苦笑)
またNHKの番組「歴史探偵」では、事もあろうか?内製ガレオン船/家康時代が登場していました。(アラ、ビックリ!)そしてこの天文学は「天体の観察」と同様に、5)目と光に関するテクノロジーでしょう。
さてWikiで天文学を調べると、「天文学」がヒットします。

1)天文学は、天体や天文現象など、地球外で生起する自然現象の観測、法則の発見などを行う自然科学の一分野。
物理学の一分野と呼ばない所がミソです。(笑)
2)現代の天文学は主に3つの分野に分類できる。位置天文学・天体力学・天体物理学である。
3)天文学は自然科学としてもっとも早く古代から発達した学問である。
人間は夜空を見上げた時に、「何て複雑な構造なのだろう」と訝しく思ったに違い無いのです。また(自然科)学者は「自身の道の遠さ」に、辟易とした事でしょう。(苦笑)
4)先史時代の文化は、古代エジプトの記念碑やヌビアのピラミッドなどの天文遺産を残した。
5)発生から間もない文明でも、バビロニアや古代ギリシア、古代中国や古代インドなど、そしてイランやマヤ文明などでも、夜空の入念な観測が行われた。

6)現代の天文学(astronomy)を、天体の位置と人間界の出来事には関連があるという主張を基盤とする信念体系である占星術(astrology)と混同しないよう注意が必要である。
天文学は一応、科学です。
7)これらは同じ起源から発達したが、現代では完全に異なるものである。
8)なお、現代において、天文現象について天文学的に論ずるときは当然占星術はいっさい排除しなければならないが、学問的に17世紀ごろまでの天文学史を研究する時は、占星術と天文学の関係も研究しなければならない。
9)もともと天文学という学問は、研究者が研究対象に直接触ったり取り扱ったりすることができず、また実験を行うことができないものと考えられていた。
10)ところが近年は探査機が資料を持ち帰る時代になり、そのため太陽系の天体は純粋な天文学の対象から惑星物理学の領域に移りつつある。
11)この例を除けば、天文学が基本的に用いる手段は電磁波を受信するリモートセンシングが中心となる。

12)天文学の研究には2つの側面がある。
13)宇宙には地球のどんな実験室でも実現が難しい超高温・超高密度の領域がさまざまなところにあり、このような極限状態でも地上の物理法則が適応できることを確認してその普遍性を検証する点がその第一である。
確かに恒星やブラックホールでは、極端条件が存在します。
14)これは惑星運動を物理法則で説明した試みが嚆矢に当たる。
ガリレオ(1564−1642)時代には万有引力の存在が既に確認されており、ニュートン(1642−1727)時代にそれが天体へも適用される事が分かった、とありました。
ちなみに、ガリレオは天文学の父と呼ばれているそうです。
15)もうひとつは人類が宇宙の中でどのような位置づけにあるかを考えることであり、いわゆる宇宙観の形成と言える。大抵の場合、天文学の研究にはこの両者が含まれる。
16)一方、「天文学は、宇宙を研究する宇宙論(英:cosmology)とは深く関連するが、宇宙論のほうは思想哲学を起源とする異なる学問である」と述べる者もおり、立場の違いによってさまざまな見解が存在する。
まあ、大道無門(by米長邦雄、将棋指し)の様な気もします。

17)位置天文学・天体力学・天体物理学:
18)位置天文学は天体の位置を、天体力学は天体の運動を研究する学問で、天文学の中でも古典分野とみなされている。
19)「天文学」(astronomy)と「天体物理学」(astrophysics)は同義語である。厳密な辞書的に定義すると、天文学は「地球大気の外にあるモノやコトについての物理・化学的性質に対する研究」であり、
   天体物理学は「天体や天文現象の振る舞い・物理的性質・動力学的過程」を取り扱う天文学の一分野である。
20)たとえば、フランク・シューが1982年に著した入門書『The Physical Universe』の導入部には、天文学は対象の質的研究を指し、天体物理学が取り扱う対象は物理学的志向が高いという。
21)しかし、現代のほとんどの天文学の研究は物理学的対象を取り扱うようになり、天文学は事実上天体物理学とみなされるようになった。
22)歴史的には、天文学の学問領域は位置天文学や天測航法また観測天文学や暦法などと同じく多様なものだが、近年では天文学の専門家とはしばしば天体物理学者と同義と受け止められる。
23)一方、観測天文学など一部の分野は、天体物理学というより旧来の天文学にあたる。天体に関わる研究を行うさまざまな分野では両方の単語が用いられ、その分野が歴史的に物理学の一部に相当するかによって決まることもある。
24)なお、現代では多くの専門的な天文学者は、天文学でなく物理学の学位を取得している。

25)歴史:→詳細は「天文学史」を参照
「天文学」ページの後は、「天文学史」ページを参照します。
26)有史以前:
27)はるか昔、文字によって歴史が記されるようになる前の時代、天文学は肉眼による天体の観察と位置の予測だけであった。ときにストーンヘンジのような巨大な人工物がこの目的のために作られることもあり、それは儀式の舞台だけでなく、
   季節を知り植物の種まきをする時期を定めるために1年の長さを決定する天文台の役割を果たしたと推察されている。
28)古代:
29)古代になり、文字で記録や歴史が残される時代になっても、星の研究はもっぱら肉眼で行われた。しかし文明が発達するとともに、バビロニア・中国・エジプト・ギリシア・インド・中央アメリカなどで天文台が建設され、
   宇宙の根元についての考察が発展を始めた。ほとんどの初期天文学は、恒星や惑星の位置を記す、現在では位置天文学と呼ばれるものだった。
30)これらの観測から、惑星の挙動に対する最初のアイデアが形成され、宇宙における太陽・月そして地球の根源が哲学的に探求された。「地球は宇宙の中心にあり、太陽・月・星々が周囲を廻っている」と考えられた。
31)この考え方は、クラウディオス・プトレマイオスから名を取って「プトレマイック・システム(Ptolemaic System)」と呼ばれる。
32)数学的または科学的な天文学は、初期段階における非常に重要な進展だった。これらはバビロニアの人々によってもたらされ、後に多くの文明へと展開していく天文学の潮流を創り上げたものだった。
   バビロニアの天文学(英語版)では、月食が一定の期間で再度起こることをサロス周期として発見した。
月食が毎月起きるとは限りませんから、これはかなり長い期間の観察結果です。

33)バビロニアの後、古代ギリシアとヘレニズム世界において天文学はさらに進歩した。ギリシア天文学はその初期段階から、天球における天体の回転運動を物理的に説明することを目指した点を特徴とした。
34)紀元前3世紀、アリスタルコスは地球の大きさと、月や太陽の大きさと距離を計算し、太陽中心説による太陽系モデルを提案した。
これは地球の大きさが、太陽よりも小さい事を知っていたのでしょうか? 両者の大きさの比較→太陽中心説、です。だとすれば、(大切な)宗教の持つある種の愚鈍さが知れます。
35)紀元前2世紀にはヒッパルコスが歳差を発見し、月の大きさと距離を計算し、アストロラーベのような初期の天文学装置を発明した。ヒッパルコスはまた、1020個の星とギリシア神話の神々の名に由来する北半球の星座のほとんどについて、
   詳細なカタログを作成した。
データの整理、分類学は、どの時代でもとても大切です。
36)紀元前150〜80年ごろ制作のアンティキティラ島の機械は、特定の日における太陽や月および星々の場所を計算するよう設計された、初期のアナログ計算機である。
37)ヨーロッパにおいて、これに匹敵する制作技術の再興は14世紀の機械式天文時計の登場を待たなければならなかった。
所謂、中世の暗黒時代、です。人間は、思考停止しようとすればとても簡単なのでしょう。(〜トランプ、苦笑)以下は省略します。

次は「天文学史」ページです。
1)天文学史は、天文学の歴史についてのことである。その歩みは人類の歴史とともにあったと言っても過言ではない。
2)年表:
  ・紀元前2000年頃−エジプトで太陽暦、メソポタミアで太陰暦が起こる。
  ・紀元前200年頃−エラストテネスが地球の大きさを測定(夏至の太陽の視差による緯度差と対応する子午線弧長から、地球周長を45000kmとした)。
メートル制定が40000km前提ですから、かなりの精度でしょう。
  ・紀元前2世紀頃−ヒッパルコス恒星の明るさ6段階に分けた(これは若干形を変え、視等級として現代でも使われている)。
  ・1606年−ケプラー、「惑星の運動の法則」を発表。
  ・1632年−ガリレオ、地動説を完成させる。
  ・1666年−ニュートン、万有引力の法則を考案(ニュートン力学)
  ・1781年−ハーシェルが天王星を発見。
  ・1800年頃−ハーシェルが赤外線放射を発見。
  ・1846年−ガレが海王星を発見。
  ・1905年−アインシュタインが「特殊相対性理論」を発表。
  ・1915年−アインシュタインが「一般相対性理論」を発表。
  ・1920年代−ハッブルが銀河の観測などから宇宙の膨張を発見。
  ・1928年−国際天文学連合第3回総会委員会で、全天を88星座に区分することが承認される。
  ・1987年−大マゼラン星雲で超新星出現、初のニュートリノ検出。
  ・1990年−ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げ。
  ・2006年−冥王星が惑星から除外され太陽系の惑星は、「planet」(惑星)、「dwarf planet」(準惑星)、「Small Solar System Bodies」(太陽系小天体)の3つに定義されることになった。(詳細は惑星#2006年IAU総会を参照)

3)概略
4)天文学の起源:
5)天文学の起源は暦を作ることから始まったと考えられている。
席亭は、この様な考え方には反対です。暦は天文学の応用(〜価値の創造)であり、その本質では無いからです。学問は価値の創造ではなく、真理の追究だと思うからです。
何故星は動く(回転する)のだろうか? 何故星座は移り行き、そして再生されるのだろうか?、です。ですが、その前に毎日生まれる太陽が有りますよね?(苦笑)
6)人類が農耕を行うようになると、農作物の栽培や収穫に最適な時期を知るために1年周期の季節変化を正確に把握する必要が出てきた。
7)一方で人類は太陽や星々の観察によって、季節が変化する1年という周期が、恒星の位置および恒星に対する太陽の位置の移り変わりの周期でもあることを知っていた。
どの様な手段によってでしょうか? 彼らが知っていたのは、季節の変化と見える星座の違い(〜天空に於ける星座の位置の違い)では無いのでしょうか?
8)さらに、月が1ヶ月周期で満ち欠けすることも知っていた。従って、月の満ち欠けの周期と太陽や恒星の位置変化の周期との関係が分かれば、月の欠け具合を見ることで、今日が1年の中の何日目かを知ることができる。
  これが暦の始まりである。ゆえに古代の暦法は、月の満ち欠けを基礎にしたもの(太陰暦)だった。
9)しかし太陽の運行に基づく1年は月の満ち欠けの周期(朔望月)の整数倍にはなっていないため、そのままでは太陰暦による10月は太陽暦における9月、8月などに次第にずれていってしまい、「麦は10月にまく」などとは言えなくなってくる。
  (イスラム世界で使われるヒジュラ暦はこの方式であり、ラマダーン月の時期が夏になったり冬になったりする。)
10)このため、暦と実際の観測結果を比較して、太陰暦に閏月などの補正を入れることで太陽年とずれを生じないように絶えず暦を作り変えてきた。
11)このように、いかに正確な暦を作るかを追求することが古代における天文学の主要な役割であった。

12)世界ではじめて月と太陽の運行周期を体系化したのは、メソポタミアである。早くも紀元前3000年の時点で、19年を単位とし、そのうち特定の年を12カ月、別の特定の年を13カ月とおくことで、月と太陽の運行のずれを吸収した。
1年は365〜6日で、19年では365*19+19/4〜6935+5=6940日です。1月は29.5日程度(〜月の周期)でしょうから、6940/29.5=235.2・・・月、
12月*19年=228月ですから、うるう月は19年で7回程度です。
13)一方、エジプトにおいては月と太陽の運行の関係は重視されなかった。これは一定の周期で氾濫を繰り返すナイル川の洪水のためである。
14)天文学よりも水位測定が発達し、水位の変化によって1年が365日からなることを割り出した。
15)エジプトの暦法は新月をくぎりとし、12回の新月の間隔を観測に基づかずに30日とおき、1年の最後に5日を足して洪水の周期と合わせるというものであった。
16)エジプト歴は数学的には美しくないが、最も実用的であり、以後3000年以上にわたって利用された。現在の暦もメソポタミアではなく、エジプトの暦法を汲んだものである。
暦ですから、実用的なのは何よりです。(苦笑)
17)太陽系に所属する惑星のうち、水星、金星、火星、木星、土星はなんら観測器具がなくとも肉眼で観察できる。したがって、惑星がいつ発見されたのかは不明である。
18)しかしながら、惑星が天球上で恒星とは異なった運動をすることを発見し、惑星に命名したのは紀元前2000年ごろのメソポタミアである。メソポタミアの命名は現在の惑星の名にも残っている。

19)ギリシア天文学:
20)日食の予測:
21)ギリシアのタレスは紀元前585年の日食を予言した。
22)メソポタミアでは惑星同士の接近に占星術上の意味を見出していたため、食の研究が進んでいた。タレスの予言も、メソポタミアの手法を用いている。
23)金星の発見:
24)金星は地球よりも内側を公転しているため、日没後もしくは夜明け前にしか観測できない。古代においては、日没後に見える「宵の明星」と夜明け前に観察できる「明けの明星」は異なる星だと考えられていた。
25)この2つの惑星が同じものだと発見したのは紀元前500年ごろのピタゴラスである。ピタゴラスは金星にアフロディーテと命名した。

26)宇宙の構造に関する考察:
27)ギリシアのフィロラオス以前は、宇宙の中心は不動の地球であり、その周りを太陽、月、惑星、恒星が周回していると考えられていた。
28)紀元前500年ごろ、フィロラオスは地球や太陽を含む全ての天体が目に見えない宇宙の中心の火の回りを回転していると考えた。ただし、フィロラオスの説は観測データに基づいておらず、根拠がないと考えられたため、
   これを受け継ぐ学説は生まれなかった。
29)一方、ギリシャのヘラクレイデスは金星と水星の位置が太陽から一定角度以上離れないことを根拠として、水星と金星が太陽の周りを回っていると考えた。
彼はとても賢いです。彼は太陽(〜大輝度光源)の影響を排除して、日中に水星や金星の位置を観察したのでしょうか?
30)ヘラクレイデスは地球が不動であることは疑わなかったが、初めて合理的な天体の運動体系を作り上げたといえる。

31)天体座標の発明:
32)天体の位置を座標で表すことに思い至ったのもギリシア人である。紀元前350年ごろ、ギリシアのユードクスは世界地図を作成した。次に、世界で初めて世界地図に相当する星図を作り始めた。
   ユードクスが優れていたのは基準となる座標を北極星にとり、北極星から全ての方向に広がる放射状の線(赤経)とこれに直交する線(赤緯)を考案したことである。これにより、正確な星図を作成する基礎ができた。
この頃には既に、北極星が天空の中心である事が分かっていたのでしょう。北極星は自転軸の方向に在る為、地球の自転の影響を殆ど受けません。

33)天体の直径を算出
34)天体の直径に関して、古代の人々がどのように考えていたのかははっきり分かっていない。しかしながら、天球に開いた針穴やかがり火、窓などの比喩で語られていることから、小さなもの、少なくとも地球より小さなものと考えられていたようである。
35)ギリシアのアナクサゴラスの説はこれとは異なり、紀元前450年ごろ、太陽の大きさをギリシアに匹敵するものと唱えた。アナクサゴラスは世を惑わすものとしてアテネから追放されてしまった。
36)実験的に天体の直径を測定しようと試みたのはギリシアのアリスタルコスである。紀元前280年ごろ、月食時に写る地球の影の大きさから月の直径を地球の1/3と計算した(実際には1/4)。
37)さらに、三角法を用いて月の直径から太陽の直径を算出した。基本的なアイディアは半月の時点においては、地球、月、太陽が直角三角形の形に並ぶ(直角が月に相当)というものである。
   月と太陽の視直径が等しいこと(これは日食から容易に推測できる)、月の直径が分かっていることから推論を進めた。光学観測機器が一切利用できなかったことから、太陽の位置が月の20倍(実際には約400倍)、
   太陽の直径が地球の7倍(実際には約108倍)と、数値的には正しくなかったが、天体の直径が地球と同等かそれ以上であることを合理的に計算したのはアリスタルコスがはじめてである。
38)なお、地球の大きさを三角法を用いて決定したのはギリシアのエラトステネスであり、アリスタルコスの約40年後のことである。
39)後は月までの距離が分かれば、重要な数値が全て揃う。月の直径を測定により算出したのは、ギリシアのヒッパルコスである。エラトステネスの90年後、紀元前150年であった。
40)ヒッパルコスは三角法の正確な数表を作り上げ、角度から辺の長さが分かるように準備した。その後、地球上の異なる点から月を観察し、視差によって生まれる特定の恒星と月の位置関係の変化をまとめた。
   これによって、地球−月間の距離は地球の直径の30倍であるとした。エラトステネスが計算した4万kmという地球の大円の周長に当てはめると、月までは38万4000kmと計算できた。
41)21世紀の現在では月の平均軌道半径が38万4400kmと分かっている。
かなりの精度です。昔の賢人は、現代人と比べても賢いです。以下は省略します。一度天体の観察に戻ります。

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