東海道バーチャルトリップ
97)磐田市指定史跡阿多古山一里塚案内板:登り道その2を上ると、左手
案内板には地図が二つと説明文が記されています。右上の地図は先の案内板と同じ周辺地図で、左下の地図には江戸時代の阿多古山一里塚付近、『見付宿職業別街並絵図』(天保13年、1842)拡大、とあります。説明文には、
徳川家康は、東海道の整備を進め、慶長9年(1604)には1里毎に距離の目安となる小山(塚)を築き、磐田市内には宮之一色と見付に、愛宕神社の旧名から「阿多古山一里塚」と呼ばれて、
一里塚は5間(9m)四方の土台に高さ2〜3mの円形の小山を築き、塚の上には榎や松などを植え、街道の両側に残され、昭和42年11月3日に旧磐田市の史跡に指定、江戸から62番目、北の一里塚には椎、南には松、とあります。
98)一里塚石碑と白い国土地理院ポスト、三角点(旧)/塚:塚の上に登ると
塚の上には同石碑、同ポスト、三角点が在ります。しかし今回来てみると、白いポストは何故か?抜かれていました。
先の案内板の注意事項にも、阿多古山一里塚は磐田市の文化財(史跡)に指定されています。史跡の保全にご協力ください、とあります。
99)元門(もとかど)と元天神道案内板高札、見付天神社元門之跡石碑:旧道に戻り先の直進地点を今度は右折すると、徒歩211分、道路北奥
此処には同高札と同石碑が有ります。案内板には説明文と案内図が示されており、案内図には旧東海道から右折する元天神道と、元門の●マーク、「天神社へ」の文字が記されています。また説明文には、
旧東海道から見付天神社に通じる小道は江戸時代の表参道で、江戸時代中頃の絵図には「天神道」、後期には「元天神道」と記されています、とあります。
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