東海道バーチャルトリップ

61)境橋/境川:小橋の先、徒歩141分

境橋では右側に歩道が設けられています。欄干の手前と奥には境橋説明板が貼られており、その説明文には、慶長六年(一六〇一)、東海道に伝馬制度が設けられ、程なく尾張と三河の立ち会いで橋が架けられた。この橋は、中程より
西は板橋、東は土橋で、多くの旅人の足をとどめたが、度々の洪水に流され、修復された。やがて、継ぎ橋は一続きの土橋になり、明治になって欄干つきになった、とあります。

62)光廣歌碑:橋の袂右奥

橋の袂右奥に光廣歌碑立札(写真右側)と、その左に同歌碑が在ります。写真奥は境橋です。立札の説明文には、うち渡す尾張の国の境橋 これやにかわの継目なるらん、光廣、
狂歌集、古今夷曲集が刊行された寛文六年(一六六六)当時の境橋は、尾張側は木橋三州側は土橋の所謂継橋として有名であった、詠み手は、京都烏丸に邸宅のあった権大納言正二位、藤原朝臣光広卿で俗に烏丸と称された、とあります。

63)小橋その4:歌碑の先

此処で旧道は小橋を渡ります。写真奥の高架は、伊勢湾岸道です。

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