東海道バーチャルトリップ
4)知立古城址石碑と大木/西町児童遊園:入口の先
石碑の背後には大木も有ります。ガイドも大木の裏のベンチで一休み。
5)御殿址石碑、江戸時代前半の池鯉鮒宿の町並み(西側)案内板、明治天皇御小休所阯石碑/同遊園:石碑の右側、徒歩36分
石碑、遊園の右側には手前から順に、黒い御殿址石碑、(木の幹)、同案内板、小休所阯石碑が在ります。案内板には3つの項目の説明と、3枚の地図が掲載されています。3つの項目は上から順に本陣、問屋場、御殿(御茶屋)で、3枚の地図は、
江戸時代前半の絵図、市指定文化財「東海道池鯉鮒宿宿並図」(一部を抜粋)、現在の地図、市指定文化財「東海道池鯉鮒宿宿並図」です。江戸時代前半の地図には東海道と名所、旧跡が示されており、江戸方から順にA本陣宿脇本陣、
@本陣宿、B問屋場、D御殿御門番、〇高札場、現在地、C御殿、E御番所、〇宗持寺(旧総持寺)が描かれています。また主題下の説明文には、
当地は、慶長6年(1601)、徳川家康が東海道に伝馬制度を整える際、宿に指定されました。江戸時代前半の宿の町並みは、市指定文化財「東海道池鯉鮒宿並図」で知ることができます。現在地付近は宿の西側にあたり、町並図には
「本陣宿」や「問屋場」、「御殿」の施設のほか、「大明神」(現在の知立神社)、「了運寺」などの寺社も示されています。施設の配置等から17世紀後半の宿の様子を描いたものと考えられています。3つの項目の説明文は、
本陣:本陣は、大名や幕府役人、公家などが休泊するための施設で、門・玄関・式台・上段の間など数々の座敷を備え、一般の旅籠屋とは区別されました。本陣の当主である本陣職は、宿の機能を担う重要な役割でした。町並図には、「本陣宿」
と書かれた場所が街道南側に2ヶ所あり、敷地の広い方(@)が池鯉鮒宿本陣職を務めた永田家の本陣で、「池鯉鮒宿本陣御宿帳」(県指定文化財)が残されています。もう一方は、脇本陣(A)であると考えられています。
問屋場:問屋場(B)は、宿において人馬の継立や、通信業務などの宿業務を担った場所です。問屋場には問屋役、その補佐である年寄のほか、帳付・馬指・人足が置かれ、公用旅行者やその荷物、公用文書などを滞りなく、次の宿まで送り届ける
役割を担いました。宿並図には、街道南本陣宿(@)の2軒西側に確認でき、この場所は現在の本町公民館付近にあたります。後に問屋場は中町に移転し、現在はその地に石碑が建つ。
御殿(御茶屋):御殿(C)は、将軍が上洛する際に休泊するための施設です。宿並図によると、敷地の規模は街道に面して、南北に32間(約58m)、東西に57間(約103m)と示されています。御殿の建物には表現されていませんが、
堀切のようなもので区画されていることがわかります。また、御殿周辺には、「御殿御門番」(D)や「御番所」(E)が示されていて、これは御殿に関する施設と考えれます。御殿は、元禄年中から宝永年中(1688〜1711)の頃に
地震により倒壊したことが知られています。
市指定文化財「東海道池鯉鮒宿宿並図」17世紀後半の池鯉鮒宿の様子を描いた絵図です。宿の長さは約1359mであること、家数224軒であることなど、宿の概要も示されています。上の絵図は宿西側、赤枠の中の範囲を示しています。
令和3年(2021)3月作成 知立市教育委員会、とあります。
6)藤棚/同遊園:石碑の左側
写真は大木の裏のベンチから撮っています。藤棚は写真中央に在ります。
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