東海道バーチャルトリップ

16)安倍川の変遷、安倍川の治水案内板と篤行家宮崎総五頌徳碑(しょうとくひ):右折すると、左手、道路西奥

手前から順に案内板、頌徳碑が有ります。案内板には、〇安倍川の昔の流れ、
安倍川は、その昔静岡市附近が湿地帯であった時代には、藁科川と流路を異にし、現静岡市中心部を流れて海に注ぎ、藁科川は安倍川の現流路を流れ、
静岡市街地は安倍川のはんらんで流失された土砂によって形成された、今川氏が平野の高い部分に城を築こうとして、幾条にも流れていた安倍川を西へ追いやり、
現在の流向となりました。(15世紀)、17世紀はじめに徳川家康が薩摩藩に命じ堤防(薩摩土手)を築かせた、長さ4100m、とあります。

17)髭題目二基:(水神社を探して見付からず)、右手、徒歩191分、道路西奥

左の髭題目には、関東震災横死者供養塔とあります。ですからこれらが、2.関東震災横死者供養塔と3.溺死剣難者慰霊碑なのでしょう。

18)安倍川橋:道を戻り県道横断歩道を渡ると、正面、徒歩193分、道路南側

歩道は橋の左側にしか付いていません。先の明治7年に完成した木橋は安水橋でした。Wikiには大正12年鉄橋に架替えと有ります。
しかしトラス橋だけではなく、某頁によれば12連のトラス橋+1連のアーチ橋です。もともとは2つのトラス型でしたが、右折車線を設置する際に1つのアーチ型に、とあります。
土木学会からは土木遺産に選出されています。

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